山国さきがけフェスタ

山国神社の還幸祭で昔ながらの様子がよみがえります。

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農兵隊で明治維新に貢献した山国隊
毎年10月22日、京都三大祭りのひとつ時代祭の武者行列の先頭を承り、 その特有の鼓笛のしらべで知られる山国隊は、ここ京北の山国が発祥の地です。
慶応3年10月14日(130年前)、徳川15代将軍慶喜は大政奉還を願い出で征夷大将軍の職を辞し、 12月9日王政復古となりました。総裁・議定・参与の三職がそれぞれ任命されたにもかかわらず慶喜には何の沙汰も無く、 それどころか、内大臣の位や領地を返納する勅令さえ下りました。そのため、永年徳川に恩をうけた大名らは、 将軍に同情して、また薩長の横暴を叫んで遂に、明治元年鳥羽・伏見の戦いとなりました。 この時、山陰道鎮撫使西園寺公望の檄文が山国にも届きました。常には手に鋤・鍬を持って田畑に働く農民ですが、 昔から皇室との関係が深く木材や土地の産物を献上してきた山国の人たちは、これに応えて決起し、 同志80数名で組織したのが、この山国隊です。
明治元年正月11日、この山国神社に勢揃いし誓書を奉り出発し、関東・東北の仙台までも転戦しております。 彰義隊の戦いには先頭で一番乗りの功をおさめ、山国隊の名を全官軍にとどろかせました。中でも安塚の戦いでは、 夜明けに敵の逆襲にあい6名の死傷者をだしました。しかしその悪戦苦闘が遂に官軍を勝利に導くことにつながりました。
翌明治2年2月18日、楽隊を先頭に約1年余り離れていた郷里に帰還した時は、 山国住民や沿道の人々が総出で出迎え、その功をほめたたえる声は山谷にとどろき渡った...ということです。
殉死者の霊は、他の隊士の死亡者をあわせ、招魂社(現在の山国護国神社)に祀られ、 毎年安塚の戦いのあった4月22日を例祭とし、往時の功績をたたえ殉節をしのんでおります。
なお招魂社は、国道477号を北へ500m行った四辻の左側(道路脇に石柱標示)200mの小高い丘の山裾にあります。

「山国さきがけフェスタホームページ」より引用

 

維新勤皇山国隊行進 午後1時から

山国神社祭列・神輿渡御

プログラムについては

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